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東京高等裁判所 昭和38年(ネ)37号 判決 1967年7月11日

第三〇九八号事件控訴人・第三七号事件被控訴人(第一審被告) 社会福祉法人 聖隷保養園

第三〇九八号事件被控訴人・第三七号事件控訴人(第一審原告) 吉永寿一

主文

本件控訴をいずれも棄却する。

第一審原告の当審における新たな請求を棄却する。

各事件の控訴費用はそれぞれ当該事件控訴人の負担とする。

事実

第一審原告は第三〇九八号事件につき控訴棄却の判決、第三七号事件につき「原判決中第一審原告の敗訴部分を取消す。第一審被告は第一審原告に対し、金四五〇万円とこれに対する昭和三六年二月三日以降支払済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも第一審被告の負担とする。」との判決および仮執行の宣言を求め、第一審被告は第三〇九八号事件につき「原判決中第一審被告の敗訴部分を取消す。第一原告の請求を棄却する。訴訟費用は、第一、二審とも第一審原告の負担とする。」との判決、第三七号事件につき控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張および証拠関係は、次に付加訂正する外は原判決事実摘示と同一であるからこれをこゝに引用する(但し、原判決二枚目表三行目の「年来の疾患である」を削る、(同四行目の「勤め」を「勧め」と、同二枚目裏三行目の「原告の左主気管支狭窄」を「原告の左肺の全結核病巣」と夫々訂正し、同五枚目裏末行に「同第九号証」を挿入する)。

第一審原告は、請求原因事実四および五を次のとおり訂正し、「四、第一審原告は昭和三二年五月二八日国立静岡病院を退院したが、当時第一審原告の結核病巣はほゞ固定し、気管支狭窄が残つてはいるものゝ、長時間の超過勤務をするのでなければ通常人と同様に一日八時間の勤務に継続して従事することが可能な状態であり、おそくとも第一審原告が本訴を提起した昭和三五年一二月頃までには新たな就職先を得ていた筈であるところ、関口医師の執刀上の過誤により左肺葉を全部剔出するという重大な身体的障害をうけて肺活量は手術前の五四パーセントを失うと共に、術后の治療・看護の誤りから肺気腫を併発し、赤血球は異常増加し、心臓痛が継続的に襲い、呼吸不足感から逃れられない身となつたゝめ、第一審原告の労働能力は極度に低下して継続八時間の勤務につくことは到底不可能となり、次のような損害を蒙るに至つた。

(一)  物質的損害

第一審原告は本件手術をうけた昭和三二年一二月三日現在三四才四月であつて、厚生省の第九回生命表によれば三三・六六年の余命があり、本件手術上の過誤がなければ、おそくとも本訴提起時である昭和三五年一二月二七日までには再就職ができたのであるから、そのときから社会通念上の停年令である五五才までの一七・六七年間は次のような給与収入を得べかりしものであつた。すなわち、厚生省大臣官房統計調査部発行の昭和三八年人口動態統計および総理府統計局発行の昭和三八年日本統計年鑑によると、昭和三五年度における男子労働者に月間きまつて支給される給与額の全国平均は金二万九〇二九円、静岡県では金二万〇七八九円であるから、第一審原告は一七・六七年間少くとも一ケ月金二万〇七八九円の割合で給与を得べかりしものであり、同年間における総額からホフマン式計算法によつて年五分の割合による中間利息を控除すると、金三一五万三〇〇〇円となり、第一審原告は右同額の損害を蒙つたことになる。

(二)  精神的損害

第一審原告は完全に片肺を喪失した結果、極度の体力の減退により再就職の望みを断たれ、肺機能の顕著な低下に伴う病気に対する抵抗力の減退によつて絶えず急死の不安に戦く身となり、将来を約した女性との結婚も不可能となつた上、終世不具廃疾者としての負目にたえて行かなければならなくなつたばかりか、老母を山里に一人残したまゝ自らの手で扶養することもできず、更生寮「慈照園」において生活保護をうける身となつた。

かような訳で第一審原告の蒙つた精神的苦痛は極めて大であり、これを慰藉する金額としては金二〇〇万円が相当というべきである。

五、(一) 第一審原告は、昭和三二年八月一〇日付をもつて総理府恩給局長宛てに傷病恩給の申請手続をしていたが、本件手術後の同年一二月一九日、第一審被告病院の平野一生医師に対し、右恩給申請に使用するものであることを告げて診断書の交付を求めたところ、同医師は、本件手術にさいし気管支成形術に失敗し左肺葉全剔を行なつた事実を第一審原告に告げるべきでありながら、ことさらにこの事実を秘匿し、「気管支成形術を実施した場合は術後再狭窄を生ずることがあるので、一ケ年くらい経過しなければ症状の固定に関する診断を下すことはできない」旨を述べて、本件手術の結果を記載しない診断書(甲第六号証)を作成し第一審原告に交付した。ちなみに、第一審原告は、同年一二月二八日、第一審被告病院の本康裕医師から告げられるまで左肺葉全剔がなされた事実を知らなかつたのである。しかし、右診断書によつては、従前提出済の申請書類に何ら新しい事実を加えなかつたため、第一審原告は、昭和三二年五月二三日を症状固定時とし、同日における症状を記載した恩給診断書(国立静岡病院作成)に基づき、昭和三五年九月一三日、傷病年金、有期(給付期間昭和三二年一〇月から昭和三七年九月まで)第一款症の恩給裁定を受ける結果となつたのであり、その後の再申請により、ようやく昭和三七年一二月三日に、給与起算日を同年一〇月とする第五項症による恩給給付の裁定を受けたが、もし、第一審原告の求めに対して平野医師が、直ちに、左肺全剔の事実をありのままに記載した診断書を交付していれば、第一審原告は、その当初の恩給申請につき静岡県民生労働部援護課から裁決庁に進達の手続がとられた昭和三二年一二月二三日以前に、真実の診断書を右援護課に提出しそれが右進達に添付されることによつて、当初から不具廃疾の程度につき第五項症の裁定を受けえたのである。したがつて、第一審原告は第一審被告被用者平野医師が真実の診断書を交付しなかつた違法な行為により、別表<省略>記載のとおり、昭和三二年一二月から昭和三七年九月まで第五項症裁定により給付を受けることができたはずの金額合計三六万三五〇〇円から現実に第一款症裁定により給付された金額一〇万円を差し引いた金二六万三五〇〇円の得べかりし利益を喪失し、同額の損害をこうむつた。よつて右損害の賠償を当審において新たに請求する。

(二)  この点に関する第一審被告主張事実中、その主張の期間第一審原告が聖隷病院および聖隷厚生園に入院ないし在園し、その間医療扶助と生活扶助もしくは生業扶助とを受けていたこと、右厚生園退園後も引き続き昭和三九年まで生活扶助を受けていたことは認める。しかし、傷病年金が支給されたことにより生活保護法による給付額から当然に控除されるものではなく、保護実施機関において保護の変更、停止、廃止等の新たな処分をなすべき関係を生ずるのみであり、また、すでに受けた同法上の給付につき償還義務を生ずることがあるとしても、その義務の存否および金額も、保護実施機関の処分をまつてはじめて定まるのである。したがつて、第一審原告が生活保護法による扶助を受けている一事をもつて当然に、傷病年金に関し得べかりし利益がないとはいえない。

六、以上の次第で、第一審原告は、第一審被告に対し、同被告の事業の執行につき、その被用者たる関口医師の過失行為によつて第一審原告がこうむつた損害のうち、前記四の(一)の内金二七三万六五〇〇円、四の(二)の金二〇〇万円、ならびに、同じく平野医師の故意または過失に基づく行為によつて第一審原告がこうむつた損害である前記五の(一)の金二六万三五〇〇円、以上合計金五〇〇万円とこれに対する本件訴状送達の日以後である昭和三六年二月三日以降支払済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。」

と述べた。証拠<省略>

第一審被告は、

「(一) 第一審原告の当審における新たな主張事実中、第一審原告の左肺の全結核病巣が化学療法によつて十分に治癒できる症状であつたとの点は否認する。右主張第四項の損害額の点もすべて争う。

(二)  第一審原告主張の第五項につき、主張日時平野医師が甲第六号証の診断書を作成交付したことは認めるが、その使途が右主張のようなものであつたこと、同医師が使途に関し右主張のような説明を受けたことは否認する。第一審原告は、いかなる意図によつてかは述べなかつたが、特に本件手術前の病状を記載してほしいと求めたので、平野医師がこれに応じたのであり、そうであればこそ、それ以前に手術を受けたことを知悉している第一審原告がその手術に関し何ら記載のない右診断書を異議なく受領しているのである。傷病恩給の申請および受給に関する主張事実は知らない。仮りに主張のとおりの経緯であつたとしても、いつたん申請をしたのちにおいても昭和三五年九月一三日の裁定がなされる前に病状の変化を証明して症状固定時を変更しえたはずである。

また、第一審原告は、昭和三二年九月一三日から昭和三四年三月三一日まで聖隷病院に入院し、その間生活保護法による医療扶助を受け、昭和三四年四月一日から昭和三六年三月三一日まで聖隷厚生園(アフターケヤー施設)に入園し、その間同法による医療扶助と生活扶助を受け、昭和三六年四月一日同法に基づく生業扶助金二万円を受領し、さらに同園退園後も生活扶助を受けている。生活保護は被保護者のあらゆる収入を控除し、その不足額につき保護する制度であるから、傷病年金による収入があれば、その年金額だけ生活保護法による給付額から控除されるのであり(医療扶助については控除の結果同金額を自己負担額として病院等に支払わなければならず)、第一審原告は、傷病年金の収入を所轄福祉事務所に届け出るべき義務があつて、これに反するときは、保護費を支弁した機関から保護費用の徴収を受けることとなり、本件のように既往に遡つて傷病年金を給する裁定がなされた場合には、それまで保護を受けたことは急迫の場合の措置とされるが、その間受けた保護費につき、これを支弁した機関の定める額の返還義務が生ずるのである。したがつて、第一審原告が、その主張のように昭和三二年一二月から第五項症の裁定による傷病年金を受けえたとしても、その金額が同原告の受けていた生活保護法による扶助額(これは右受くべかりし年金の額を上廻る)から控除され、実収入は異ならないこととなつたはずであるから、同原告に得べかりし利益の喪失なるものはない。

(三)  第一審被告は被用者たる関口医師の選任および事業の監督につき相当の注意を尽したものであるから、第一審被告には損害賠償義務はない。すなわち、関口医師が第一審被告の経営する聖隷病院の胸部外科部長に就任したのは昭和二七年中であるが、同医師は当時既に国立宮城療養所の外科部長として令名が高く、第一審被告としては慎重な選考を経て同医師を聖隷病院に招聘したものであり、又聖隷病院において第一審原告を入院させ、同人を気管支成形手術の対象患者と決定したのは、同病院の医師を以て構成する医局会議における協議の結果であり、本件手術中における応急処置についても執刀者および立会医師の協議によるものであつて、これらはいずれも第一審被告が専門家の慎重な衆議にかゝらせていたからに外ならず、結局第一審被告としては被用者の選任および事業の監督につき相当の注意を怠らなかつたものというべきである。

と述べた。証拠<省略>

理由

一、第一審被告が肩書地において聖隷病院を経営し、訴外関口一雄、同朝野明夫、同平野一生、同本康裕、同浜野年子らはいずれも同病院に現に勤務し又は勤務していた医師であつて、昭和三二年当時関口は外科医長、朝野は内科医長の職にあり、平野および本康は外科、浜野は内科を担当していたこと、第一審原告が左主気管支狭窄症を根治するために、昭和三二年九月一三日気管支成形手術をうける目的で前記病院に入院し、同年一二月三日同病院において関口医師の執刀、平野医師らの介助のもとに気管支成形手術が施行されたところ、同手術の中途で第一審原告の左肺動脈本幹に損傷を生じたために手術は不成功におわり、しかも左肺が上・下葉とも全部剔出(以下全剔という)されたこと、はいずれも当事者間に争いがない。

二、そこで前記肺動脈の損傷、ひいては左肺全剔が関口医師らの過失に基因するものであるか否かを判断する。

(一)  先ず第一審原告は、昭和三二年当時は気管支成形手術は医学上未開拓の分野であり、成功率の乏しい極めて危険な手術であつたにも拘らず、関口医師らは功名心に燃える余り同手術の危険性をかえりみず強行したもので、この点に同医師らの過失がある旨主張する。

成立に争いのない甲第八号証の一、二、および乙第一号証、当審証人関口一雄の証言、原審鑑定人大谷五良および当審鑑定人篠井金吾の各鑑定の結果によると、(イ)気管支狭窄症はその過半数が結核性のものであつて、類型的にこれをみると、結核菌におかされた気管支内の粘膜が化学療法によつて瘢痕状に治療するにしたがい、気管支内部が収縮して狭窄を生ずるもの、(瘢痕性狭窄)、気管支周辺の淋巴腺に生じた病変によつて外側から気管支が縮まり狭窄を生ずるもの、気管支周辺の淋巴腺が結核性の変化をおこし、気管支に穿孔して狭窄を生ずるもの等が存すること、気管支成形手術は、従前気管支狭窄に対する適応治療法として行われていた肺切除術(全剔)に代るものとして、気管支狭窄患者のうち次の条件を備えているもの、すなわち(1) 主気管支の内径が五粍以下で狭窄による気管支症状があるもの又は気管の内径が正常の三分の一以下で気道障害があるものであつて、(2) 狭窄気管支の支配する肺が健全であるか、活動性病変がないか、気管支拡張や肺線維化があつても軽度のものであり、(3) 狭窄部末梢の肺機能に閉塞性障害があるが回復する見込のあるものに対し、気管支自体に手術を加えることを目的とするものであること、その術式は、第一段階として気管支とこれに接して跨がつている肺動脈とを剥離し、剥離完了後第二段階として気管支の患部たる狭窄部分を切除した上、健康部分を端々縫合することを主たる作業とするものであつて、同手術は外国では一九世紀末期から二〇世紀初頭にかけて開拓されたが、本邦に移入されたのは終戦後であり、本邦では昭和二六年以降になつて初めて動物実験が行われ、昭和三二年一二月当時における国内での実施状況は、動物実験の結果から臨床応用に移され、全国的に臨床成功例の報告がなされていたのであつて、昭和三〇年以降同三二年までの間に発表された二五例の報告によると、成績良又は比較的良が二〇例、成績効果不十分が二例、経過観察中が一例、死亡が二例という状態であつたこと。(ロ)本件手術前における第一審原告の左主気管支狭窄症は所謂瘢痕性狭窄であり、その症状は化学療法によつてほぼ慢性固定化しており、同気管支の内径は約四粍であつて、右狭窄症は成形手術以外の方法を以てしてはこれを根治しうる見込がなかつたこと。(ハ)前掲術式の第一段階における気管支と肺動脈との剥離操作には、尖端にガーゼ小塊をはさんだ止血酣子を使用するのであるが、結核性気管支狭窄症にあつては、後に詳述するように気管支周辺の淋巴腺に炎症が生じ、そのために肺動脈と気管支とが癒着すると共に、右炎症によつて肺動脈が多少なりとも脆弱化しているのが通例であるばかりでなく、気管支に接する肺動脈の裏側部分には肉眼で確認できない箇所があつて、そのために剥離操作の過程において肺動脈を損傷する危険性が多分に存し、右剥離操作こそ最大の難関であるというべく、気管支成形手術の成否は一に右剥離操作の成否如何にかかつていると云つても過言でないこと、以上のような事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

以上の認定事実によれば、気管支成形手術が成功するか否かは気管支と肺動脈との剥離の成否如何にかかり、しかも本件のように結核性気管支狭窄の場合には気管支と肺動脈との癒着のために、右剥離操作が困離であるばかりでなく、その過程において脆弱化した肺動脈損傷の危険性が存するという意味においては、同手術はある程度の危険を伴う手術であるということができるが、原審および当審における証人関口一雄(原審では取下前の被告本人、以下単に証人という)の各証言、当審証人平野一生、同本康裕の各証言によると、成程関口医師は人体につき自ら執刀して気管支成形手術を行うのは本件が最初であり、同医師が本件手術を成功させたいとの意欲に燃えていたことは推察に難くないけれども、関口はじめ介助の平野、本康各医師らにおいても、同手術における前記危険性を認識しなかつた訳ではないし、関口医師に功名心が全然なかつたとは言いきれないにしても、根本的には第一審原告の気管支狭窄症を根治することに主眼があつたことが窺知されるから、関口医師らが医学的功名心に駆られ、その危険性をもかえりみずに同手術を強行したというのは当らず、その点において関口医師らに過失があつたということはできない。なお当審証人東原隼一の証言中には、関口医師の態度が大胆不遜であり、本件手術はその動機が不純であるとの供述部分がみられるけれども、未だ前記判断を左右するに足らず、他にこの点における関口医師らの過失を肯定するに足りる資料はない。よつて第一審原告の右主張は採用しない。

(二)  次に第一審原告は、関口医師が本件手術中に第一審原告の肺動脈本幹を損傷したのは同医師の過失に基因するものである、と主張する。

先ず本件手術の経過をしらべてみると、原本の存在および成立に争いのない甲第四号証、原審および当審における証人関口一雄の各証言、当審証人平野一生、同本康裕の各証言によると、本件手術は、第一審原告の結核性左主気管支狭窄症に対し、病巣のある左肺上葉区域の切除および気管支成形を目的として施行されたものであるが、先ず執刀者関口医師は第一審原告の左背肩胛骨付近よりメスを入れて開胸した後、その尖端にガーゼ小塊をはさんだ止血酣子を用い、先ず肋膜と肺と繊維性の強い癒着を剥がしつつ肺動脈本幹に至つたところ、更に肺動脈本幹と左主気管支との間に強度の癒着がみられたので、助手の平野医師において肺動脈の片方の端をつまんで術者がこれを剥がしながら慎重に操作をすすめたが、肺動脈部分の約三分の二は順調に剥離がなされたため、関口医師はこのまま剥離をつづけても大丈夫であろうとの判断のもとに、最後に気管支の狭窄部に接する長さ約一、五ないし二糎の箇所の癒着を剥がそうとしたとき、途端に肺動脈本幹に亀裂を生じて出血するに至つたため、関口医師らは直ちに止血方法として肺動脈の縫合を試みたが、肺動脈自体が脆弱化していたために縫合した後の針穴から血が滲出する状態であつたので、関口医師および介助の医師らが協議した結果、血管縫合によつては完全な止血は困離であるばかりなく、このままの状態で気管支成形手術をすすめ、或いは又閉胸して再度の手術に期することは、何時起るやも測り知れぬ血管破裂によつて患者の生命に危険があると判断したため、やむなく次善の策として、第一審原告の左肺動脈本幹を亀裂部分と心臓との中間で心臓に近い箇所において結紮し、血液が左肺臓に循行しない状態としたが、かようにして血液が循行しなくなつたからには肺機能が失われるだけでなく、そのまま閉胸すれば肺膿瘍その他の続発症を起す可能性が極めて大であるので、結局関口医師らは第一審原告の生命の安全を考慮して左肺葉を上・下とも全部剔出するに至つたことが認められる。

ところで成立に争いのない乙第一号証、前掲原審および当審における各鑑定の結果、原審および当審における証人関口一雄の各証言、当審証人平野一生、同本康裕の各証言によると、(イ)一般に人体の骨と筋肉との間、器官と器官との間には結締子という繊維の集合体が介在して空間はないが、通常の場合結締子はごく粗雑に骨と筋肉、或いは又器官と器官とを結合させているに過ぎず、指なり酣子を入れることによつて容易に剥離しうるのであり、気管支と肺動脈との関係もその例外たりえないところ、肺又は気管支に結核性の病変がある場合には結核菌の影響によつて患部及びその周辺の淋巴腺や結締子に炎症をおこし、それが気管支に隣接する肺動脈に波及しそのために両者が癒着することが多く、しかもその癒着を剥離することの難易は癒着の強さの度合に左右されること。(ロ)健康体にあつては、肺動脈の血管壁は伸縮自由で弾力性に富み、かなり丈夫なものであるが、結核性気管狭窄支症の場合は、結核菌そのものによつて肺動脈が脆弱化することはないけれども、気管支に生じた炎症、気管支周辺の淋巴腺の炎症が波及して肺動脈の血管壁が脆弱化しているのが常であること。(ハ)気管支と肺動脈との癒着状態、肺動脈の脆弱化の程度は、開胸後肋膜を切開することにより或る程度肉眼で確認しうるから、気管支と肺動脈との剥離は、原則として目で確認しつつ酣子で当該部別をひつくりかえしながらこれを行うものであるが、ただ気管支の裏側にあたる箇所は剥離が完了するまで見えないことが屡々あつて、この箇所については酣子に加える力を触感によつて加減しつつ剥離をすすめるため、或る程度勘に依存せざるを得ないこと。(ニ)既述のように、肺動脈と気管支との剥離は、通常尖端にガーゼ小塊をはさんだ止血鉗子を用いてこれを行うのであつて、その場合鉗子で肺動脈を突き破つて損傷することはまずないが、ただ剥離をするには当該部分を寄せたり引張つたりするために、その緊張が肺動脈にかかり、亀裂を生じて破れることがありうること。

以上の各事実が認められ、原審および当審における証人関口一雄の各証言中右認定に反する部分は信用し難く、他にこの認定を左右するに足りる資料はない。

そこでこれまで認定した本件手術の経過を右に述べた肺動脈と気管支との癒着及び肺動脈脆弱化の原因、両者の剥離の方法等に則しつつ考えてみるに、凡そ患者に手術を施行する医師としては、その生命・身体の安全を保持するために最大の注意を払うべき業務上の注意義務があることは云うまでもないところであり、特に本件のような結核性気管支狭窄にあつては、気管支周辺の結締子および淋巴腺に生じた炎症が肺動脈に波及して気管支と肺動脈とが癒着すると共に、肺動脈の血管壁が脆弱化しているのが常であり、その癒着状態および血管壁脆弱化の程度は視診および病理学的判断によつて或る程度の推測が可能であると考えられ、しかも強度の癒着があるときこれを無理に剥離しようとするときは脆弱化した血管壁を損傷する危険性が多分に存することも明らかであるから、執刀医師としては、殊更に右癒着状態および血管壁脆弱化の程度に注意を払い、これらの点を仔細に検討する必要があるものというべく、しかして一般に結核性気管支狭窄症患者の肺動脈血管壁の脆弱化は、狭窄部に接する箇所だけにその症状があらわれるものではなく、必ずやその周辺の一定範囲の部分についても何らかの脆弱化の徴候がみられるべきものと考えられるから、術者は肉眼で確かめうる周辺の徴候から肉眼で確認することのできない気管支と肺動脈の癒着部分の脆弱化の程度をも忖度した上で、剥離の可否を判断すべきものと思料されるところ、当審における証人関口一雄、同平野一生、同本康裕の各証言によつても、関口医師は慎重に癒着の剥離をすすめたが全く意外にも肺動脈本幹に亀裂を生ずるに至つたというにとどまり、同医師が特に前記のような点に留意したとは到底認められず、ことに当審での右関口の証言をよくしらべてみると、要するに関口医師としては、気管支上に跨がつている肺動脈部分の三分の二は順調に剥離ができたというので、最も脆弱化が予想さるべき狭窄部に接する箇所についても無事剥離することが可能であろうと即断し、介助の医師らと剥離の難易性につき殊更に検討を加えることなく、漫然と剥離操作をすすめたことを窺知するに十分であり、前記各鑑定の結果及び証人関口一雄、平野一生、本康裕の各証言によると、本件の場合第一審原告の気管支と肺動脈の癒着は強く、後者を損傷することなしに両者を剥離することは殆んど不可能であつたと認めるの外ないけれども、もし関口医師において前記のような点に深く留意しつつ剥離操作を行つたとすれば、或いは右箇所の剥離を思いとどまり肺動脈本幹の損傷という重大事態を避けられたであろうと思料されるのであつて、かような意味において関口医師には執刀者としての注意義務を尽さなかつた憾があるものというべく、結局本件肺動脈損傷は、同医師の過失に基因するものといわなければならず、右損傷が、第一審被告の主張するように不可避的な事故であつたとは到底認め難い。しかして右損傷が同医師の過失によるものと認められる限り、さきに認定したところからうかがわれるように、右損傷に引きつづきなされた肺全剔が次善の策として緊急やむを得ない措置であつたとしても、同医師の過失責任に何らの影響を及ぼすものではないというべきである。

三、してみると、第一審被告は関口医師の使用者として、右過失行為により第一審原告の蒙つた損害を賠償すべき責任があるものというべきところ、第一審被告は、第一審原告が本件手術前に、右手術により如何なる事態を生じても一切異議を述べない旨の誓約書を差入れているから、第一審被告には損害賠償責任はない旨主張する。第一審原告が右のような誓約書を第一審被告に差入れたことは、第一審原告において明らかに争わないからこれを自白したものとみなすべきところ、右誓約書は開胸手術を受けようとする患者が手術の直前に病院に対し、差入れたもので、たといその中に第一審被告主張の如き文書の記載があるとしても、これを以て当該手術に関する病院側の過失を予め宥怒し、或いはその過失に基く損害賠償請求権を予め放棄したものと解することは、他に特別の事情がない限り、患者に対して酷に失し衡平の原則に反すると解せられるから、第一審被告は右誓約書を理由に損害賠償の責任を免れることはできないものというべく、第一審被告の右主張はもとより失当といわなければならない。

次に第一審被告は、同被告にあつては被用者たる関口医師の選任および事業の監督について相当の注意を尽したから損害賠償の義務はないと主張する。しかして昭和二七年当時関口医師が国立宮城療養所の外科部長として夙に令名が高く、第一審被告において慎重な選考を経て同医師を聖隷病院に招聘したこと、および聖隷病院において第一審原告を入院させ、同人に気管支成形手術を施す旨の決定をなし、或いは又同手術の実施中に執刀医師らが前掲応急処置をとるについては第一審被告主張のような協議を経たことがいずれも第一審被告主張のとおりであつたとしても、それらの点は一般にどの病院においても当然とられるべき措置であるに過ぎず、従つて第一審被告がかかる行為に出たことだけから特に同被告が被用者の選任および事業の監督について相当の注意を尽したということはできず、他に同被告において右選任監督につき相当の注意を尽したことを肯定するに足りる証拠はないから、同被告の右主張は理由がない。

四、よつて第一審原告主張の損害の点について判断する。

(一)  物質的損害

第一審原告は、本件事故により片肺を失うようなことがなかりせばおそくとも昭和三五年一二月頃までには再就職が可能であり、停年令である五五才までの一七・六七年間は給与収入が得べかりしものであつたと主張する。

第一審原告は、後に認定する通り、昭和二二年頃から日本通運株式会社金谷支店に勤務中昭和二七年に肺結核のために休職し、そのまま昭和三〇年二月頃自然退職となつて以来定職につくこともなく、僅かにラヂオ修理の内職をしていたが、昭和三一年七月国立静岡病院に入院後は医療扶助を受け、昭和三二年五月二八日同病院を退院したものであるが、当審での第一審原告本人の供述により真正に成立したものと認めうる甲第四七号証(静岡病院院長作成の証明書)には「軽快退院す」と記載されていることおよび成立に争いのない甲第三号証、原審証人浜野年子、同関口一雄の各証言によれば、第一審原告が同病院を退院するに至つたのは、同人の瘢痕性気管支狭窄症は化学療法の結果その症状がほぼ固定して手術以外にはこれを根治する方法がない、謂わば化学療法が限界に達したからに外ならず、昭和三二年九月一三日第一審原告が聖隷病院に入院した当時の所見では、同原告の左肺上葉には乾酪化病巣が数多く存し、左主気管支に強度の狭窄があつて、そのために時に血痰、発熱等がみられ、又同原告は息切れに悩んでいたことがそれぞれ認められるのであつて、第一審原告が昭和三二年五月静岡病院を退院当時その疾患が全治していたものでないことは明らかなところである。しかして右認定のような経過から考えると、本件手術の直前において果して第一審原告にどの程度の勤労能力があつたかを確定することは極めて困難であるばかりでなく、同原告が本件手術によりその片肺を失うことがなかつたとしても、昭和三五年一二月頃までに通常の労働力を有する勤労者として再就職が可能であつたことを肯定するには、何としてもその資料に乏しいと云わなければならず、従つて同原告が右再就職しうることを前提として得べかりし給与収入を損害として主張するのは、その前提を欠くことに帰着するし、更に後に認定の通り第一審原告は現在机上事務程度の就労能力を有するのであるが、本件手術前に比しその労働能力が低下したかどうかも必ずしも明らかでないから、第一審原告の右主張は爾余の点についての判断を俟つまでもなく理由がない。

(二)  精神的損害

第一審原告が本件肺動脈損傷および左肺全剔によつて蒙つた精神的苦痛の極めて大であつたことは推察に難くない。

しかして、

(イ)  原審および当審における第一審原告本人の各供述、原審証人浜野年子の証言によれば、第一審原告は本件気管支成形手術をうけるにあたり、肺全剔となることを極度におそれ、手術前に関口医師や平野医師らに対して肺全剔だけは絶対にしないようにしてほしい。万一全剔しなければならないような危険性があるときはそのまま閉胸してもらいたいと強く要望し、同医師らにおいてもこれを了解していたことが認められ、右浜野の証言および原審証人関口一雄の証言中右認定に反する供述部分は信用できない。

(ロ)  成立に争いのない甲第六号証の原審における第一審原告本人の供述、当審証人平野一生、同本康裕、東原隼一の各証言によれば、本件手術は、第一審原告の前記要望も空しく、肺動脈損傷という過誤の次善の策として左肺全剔のやむなきに至つたのであるが、関口医師らは術後第一審原告に対して全剔の事実を極力秘し、三週間余を経た後平野医師の依頼によつて本康医師が初めて全剔の事実を第一審原告に告げたことが認められ、原審証人関口一雄の証言中右認定に反する部分は到底信用できない。

(ハ)  原審鑑定人大谷五良の鑑定の結果、原審および当審における第一審原告本人の各供述とこれによりいずれも真正に成立したものと認めうる甲第四四、四六、五八、六五号証によると、第一審原告は、左肺全剔の結果残存右肺に肺気腫を生じ、又呼吸機能の低下により心臓機能も中等程度に低減し、更に呼吸困難、息切れ、動悸およびこれらに基因する不眠症等の諸症状を呈し、軽度の机上事務程度の就労能力はあるが、それ以上の肉体労働に従事することは困難であり、右症状の故に再就職することは殆んど不可能な状態であることが認められる。

(ニ)  原審鑑定人大谷五良の鑑定の結果、原審および当審における証人関口一雄の各証言によると、第一審原告の左肺は全剔後検査確認したところでは、上・下葉および横隔膜直上にいずれも病変があり全剔適応症であつたというのであるが、右証拠は、当審証人平野一生、同東原隼一の各証言と対比すると採用し難く、むしろ右平野および東原両名の各証言によれば、第一審原告の左肺上葉には乾酪化病巣が散在しており、そのために上葉切除の必要性があつたことは十分これを肯定することができるが、下葉については化学療法によつて治癒する可能性があつて未だこれを剔出するまでの必要性がなかつたと認めるのが相当であり、結局全剔適応症ではなかつたというべきである。

(ホ)  原審および当審における第一審原告本人の各供述によれば、第一審原告は昭和二二年頃日本通運株式会社金谷支店に勤務して雑役に従事していたが、昭和二七年肺結核症のため休職し、そのまま昭和三〇年二月頃自然退職となつて以来、定職につくこともできず、僅かにラヂオ修理の内職により収入を得ていたが、その後昭和三一年七月病気再発以来医療扶助をうけながら前記静岡病院および聖隷病院で療養をつづけてきたこと、同原告は現在四三才であるが、左肺全剔の前記障害の故に将来を約した女性との結婚もできなくなり、ただ一人の身内である老母を山村に残したまま同女を扶養することもできず、現在傷病恩給をうけながら辛うじて生計をたてていることが認められ、他方第一審被告が社会福祉法人であり、その設備と陣容において優れた聖隷病院の外にアフターケアー施設「聖隷厚生園」、聖隷保養園浜松診療所等を開設していることは、弁論の全趣旨から優に認められるところである。

以上(イ)ないし(ホ)に認定した諸般の事情とさきに認定した本件手術の経過および関口医師の過失の程度とを併せ考えると、第一審原告の蒙つた精神的苦痛を慰藉するための金額としては、金五〇万円が相当である。

五、次に第一審原告は、同原告が本件手術後の昭和三二年一二月一九日、第一審被告の担当医師平野一生に対して傷病恩給の申請のための診断書の作成を要求したところ、同医師が真実の現症状を示す診断書を作成してくれなかつたために、第一審原告は昭和三七年九月三〇日まで第五項症(重症)としての裁定が得られず、合計金二六万三五〇〇円の得べかりし利益を喪失した旨主張する。

成立に争いのない甲第六号証は、その記載に徴すれば、本件手術後の昭和三二年一二月一九日付で右平野医師が作成した第一審原告に対する診断書であつて、病名を肺結核症兼気管支狭窄症とし、手術前の昭和三二年八月当時における気管支狭窄に関する所見を記載するのみで、手術の結果については、まつたく触れていないものであることが認められる。そして、当審証人平野一生、同本康裕の各証言、原審における第一審原告本人尋問の結果によれば、第一審原告は、本件手術後、同年一二月二八日ころ前記のとおり本康医師から左肺全剔の事実を告げられるまでは、その事実を知らず、気管支成形術が成功したと信じていたのであり、直接の主治医である平野医師は、右診断書作成日付のころにおいては、第一審原告に対し、手術の結果、左肺全剔となつたことを告げなくてはならないことに困惑を感じ、これを告げえずにいたものであることが認められ、原審および当審証人関口一雄の証言中この点に反する部分は信用することができない。

しかし、右認定事実を考慮に入れても、右甲第六号証の診断書の作成された経緯が第一審原告主張のとおりであること、ならびにそのころ第一審原告がその主張のように平野医師らに現症状を示す診断書の作成を要求したことについては、これを認めるのに十分な証拠はない。すなわち、成立に争いのない甲第七四号証、第七五号証の一、二、第七七号証、第七八号証の一、二、第七九号証、当審における第一審原告本人尋問の結果から真正に成立したものと認める甲第七六号証ならびに右尋問の結果によれば、第一審原告は、昭和三二年五月二三日を症状固定時とする同年五月二九日付国立静岡病院医師作成の恩給診断書により、同年八月一〇日傷病恩給申請をしていたところ、同年一一月ころ、右申請の取扱機関である静岡県民生労働部援護課から、右診断書に記載洩れのあつた喀痰検査の結果の補完を求め、あわせて、昭和二九年四月一日以前に症状固定があれば年令等の受給により有利となるとしてその有無を問い合わせて来たため、第一審原告は、昭和三二年一二月一八日、右静岡病院をして喀痰検査の記載のある診断書を右静岡県援護課へ送付させ、同課は、その受領後、症状固定時期は従前どおりと解して、同年一二月二三日、第一審原告の申請につき、厚生省引揚援護局に進達の手続をとり、同年一二月二四日第一審原告から送られた診断書(甲第六号証と推測される)を返送したことが認められ、さらに弁論の全趣旨によれば、当時前記のように気管支成形術が成功したと信じていた第一審原告がその理解と異なる記載のある右甲第六号証を異議なく受領し右申請に用いようとしたものと認められるのであつて、これらの事実に加えて、第一審原告は、右のとおり気管支成形術が成功したこと換言すれば同術が除去することを目的とした気管支狭窄症が少なくとも軽快の方向に向かつていることを信じていたのであるから、先に手続をひとまず終えていた傷病恩給申請を維持もしくは変更するために手術後の時点に新たな症状固定時を求めようとしたものとはとうてい推測しがたいことをも考えあわせれば、第一審原告においては、右申請において症状固定の資料を補強することに用いるため、平野医師に対し、あえて手術の結果を度外視し、手術前の症状に関する診断書を作成するよう求めて、前記甲第六号証の交付を受けたものと推認するのが相当である。当審における第一審原告本人尋問の結果から真正に成立したものと認められる甲第八四号証の記載も右認定を覆えすに足りず、他に右認定を左右すべき証拠はない。

そして、第一審原告の平野医師に対する依頼の趣旨が右のようなものであつたとすれば、それにもかかわらず、同医師が自ら進んで左肺全剔の事実を記載した事実の現症状を示す診断書を作成交付すべき義務があつたものということはできない。

なお、第一審原告の恩給申請が静岡県から厚生省に進達されたのちにおいても、第一審原告が左肺全剔の事実を知つたのち遅滞なくその旨の診断書を求め、第一款症裁定を受けたと主張する昭和三五年九月一三日以前において、右申請の変更ないし再申請を行なつて第五項症の裁定を受けることに手続上の障害があつた事実を認めるべき資料はなく、また、仮りに、平野医師らが右進達前に左肺全剔の事実を記載した診断書を作成したとしても、前掲甲第七号証の一によつて認められる症状固定に関する要件に照らし、第一審原告が手続後日の浅いそのころを症状固定時として直ちに第五項症裁定を受けえたかどうかについては疑問の余地がないではなく、これを要するに、平野医師らが第一審原告主張のころ真実の現症状を記載した診断書を交付しなかつたことと第一審原告が第五項症の傷病年金を受けえなかつたこととの間に法律上因果関係があるものとも認めるに足りない。

すなわち、以上いずれの点から考えても、第一審原告が第一審被告被用者の不作為により得べかりし利益を喪失したとする主張は採用しがたい。

六、以上の次第であるから、第一審原告の本訴請求は、慰藉料金五〇万円とこれに対する本件訴状送達の日ののちであることが記録上明らかな昭和三六年二月三日以降完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において正当であつて、この部分の請求を認容しこれに仮執行の宣言を付し、その余の前記事実欄四記載の請求(年五分の遅延損害金を含む)を失当として棄却した原判決は相当であるから、第一審被告および第一審原告の各控訴はいずれも棄却し、前記事実欄五記載の新請求(年五分の遅延損害金を含む)は理由がないからこれを棄却することとし、民事訴訟法第三八四条、第九五条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 岸上康夫 田中永司 野田宏)

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